最後のブログ(仮)

90年代以降作り散らしたblog的なものの最後

洞爺湖

1987年8月4日*1

深夜に青函連絡船に乗船した。バイクを固定し、二等客室に上がった。青森港を離岸したが、甲板に登ってみるといつまでたっても両側に陸が見えた。それぐらい陸奥湾は大きかったのだが、地図でしか知らないのと実物を見るのとでは納得感に圧倒的な差があった。一瞬外海に出たような気がしたが、それもほとんど気のせいで津軽海峡はあっさり渡り、早朝、函館に到着した。あれ?寝ていたのだろうか?*2

フェリーのゲートがオープンし、キックでエンジンをかけた。これからいよいよ北海道に上陸だという緊張感と期待でなんとなく心はしんとしていた。車列が動き出し、レースに出るライダーのような気持ちで北海道の舗装路に車輪を乗り上げた。

函館山トラピスト修道院、そういった名所をなんとなく通過して見たような気持ちを味わい、一路、洞爺湖を目指した。

 国道5号線を北上し、内浦湾に出ると曇った空に海が鈍色に淀んでいた。海沿いのドライブインのようなところで一服していると(当時はスモーカーだった)、VT250に乗った青年がいて、一緒に写真を撮った。送るという約束をしたが帰宅後、住所を紛失してしまい約束が果たせなかった。

道沿いにはカニの看板や北方領土返還の看板が点々と立っていたような記憶がある。東京理科大学長万部キャンパスができるという看板もあっただろうか。そうやって灰色に囲まれながら雨?の中を湾岸の道を走り続け、間もなく洞爺湖に到着した。

湖畔を進んで適当な公園にテントを張って落ち着いた。今はもうキャンプ場ぐらいにしかテントが張れないようだが。

 

*1:この日付、いつまで正確に記載できるか甚だ心許ないが、今のところはなんとか合っているはず。

*2:この6年後ぐらいに夫婦で車で北海道を再訪しているため、記憶に混同がある