最後のブログ(仮)

90年代以降作り散らしたblog的なものの最後

そろそろ母方の祖父についてまとめるか

3年前に一番上の伯母と父が立て続けに亡くなった。そのさらに20年ほど前に亡くなった母は6人姉妹の4番目だが、今では既に姉妹全員鬼籍に入ってしまった。一番上の叔母は長女らしく全員が旅立つのを看取って最後に締めくくったようにも思えた。

東日本大震災の年の初め、伯母は藤沢のアパートを引き払って、私の家の近くにある老人ホームに入った。大きな地震が起きた時に丈夫な建物に住んでいたのは幸運だった。

その伯母が入所した直後、ホームの他の入居者から「お国はどちら?」と尋ねられて、真顔で「あら日本よ」と答えたらみんなに笑われたと憮然としていた。冗談だと思われたらしい。だが伯母がそう答えるにはちゃんと訳があった。2番目と3番目の妹はウラジオストクで、4番目の母を含む5番目6番目の妹は北京で生まれているからだ。母の名の京子は出生地の北京に由来している。そういう姉妹だから、自分だけ日本生まれだという意識が伯母にあったのは間違いない。

生涯独身だった伯母は私が生まれた時から、近所の子供達に英語を教えていた母の代わりにしばしば面倒を見てくれた。乳母並みに身近な存在だったし色々とわがままを言ったようだ。そういう経緯や他の事情などもあって、ひとり暮らしの伯母について、晩年はなんとなく私がお世話をするのが当然だと思っていた。伯母の近所に住んでいたもう1人の従姉妹は本当に細々と世話をしてくれていたのだが、本人の病もあってある時期から自然にバトンタッチする形になった。

その結果、体力が低下して肺の中の古い結核菌が最終的に伯母の命を奪った時、喪主としてあれこれを仕切ることになった。残された若干の財産の処分についてもいとこ達から一切を任されたのだが、僅かに残された株が問題になった。法定相続人全員の承諾がない限り動かしようがないのだ。それは実に当然のことだったが、過去に父から聞かされていた、姉妹の中における伯母のちょっと特殊な位置付けというのが頭の隅に引っかかっていた。これはきっと一筋縄ではいかないだろうと思い、念のため知人の司法書士に頼んで伯母の法定相続人を洗い出してもらうことにした。

私の知る限り、10人ほど顔が浮かぶのだが、それだけではないだろうとも予感していたのだ。知人は随分と苦労して祖父や祖母の代にまで遡って戸籍を取り寄せ、そこから下にたどっていって系図を描き出した。その結果、私が認識している倍以上の人数が法定相続人として浮かび上がってきた。法定相続人に至るまでの系図の途中にも苗字や名前すら聞いたことがない人が数十人もいた。

そもそも祖父と祖母の関係にも不思議な点が多く、母が生前語っていたところによると、広い屋敷の離れによく知らないおばさんが住んでいて、後でその人が戸籍上の母親だったと聞かされたらしい。

3cmほどのファイル2冊分、戸籍謄本でパンパンになっているのを見て、これはただごとではないかもしれない。まずはスタート地点である祖父について知る必要があると強く思った。解明しない限りこれはファミリーヒストリーではなくファミリーミステリーだ。解き明かすだけの知力体力時間が私には残されているだろうか?

伯母たちからは「おじいちゃんは外交官だったのよ」と聞かされていたが、どうやらそれも怪しい。祖父は私が生まれる10年も前に亡くなっている上に、娘たちは全員故人であり、祖父と直接会ったことのあるいとこ達も幼かったせいであまり記憶がないという。

過去に私の両親の歴史について父本人から衝撃的な事実を聞かされていたせいで、それ以前の家族の歴史への視界が霞んでしまっていたが、伯母の死に直面して、何かを書き残すのであればきっと私がそれが可能な最後の一人だと確信した。そこで少しずつ調べながらここに記していければと思う。