最後のブログ(仮)

90年代以降作り散らしたblog的なものの最後

音楽

実は生まれてから60年近くになってますます音楽というものがわからなくなったので、いまさらながら学んだり考えたり作ったりしてみているが、やっぱりまだ全然わかった気がしない。

ここ数年間で音楽配信サービスが充実し、クラシックやロック、J-Popのみならず、ヘビメタ、ジャズ、R&Bフレンチ・ポップス、ロシアン・ポップス、アニメ音楽、劇伴、オールディーズ、プログレ、現代音楽、EDM、ボサノヴァ、などなどいろんなジャンルの音楽を聞くようになった。もちろん誰でも一度は悩むような「ジャンルってなんだ」は何周かしたし、音楽家の動画や本を読んでみたりしている。

でもその結果、ますます自分にとっての音楽というものの輪郭がぼんやりしてきた。楽器とは?雑音とは?街の騒音とは?それと「音楽」の違いは?音楽の始まりと終わりとは?無音や休符とは?みたいな既に過去の音楽家や聴衆がとっくに通過したようなことを個人的にやっと通ろうとしている。100年ぐらい遅れている。

ただ、生まれたときから慣れ親しんだ音楽というものについて知らなかったことや考えてこなかったことを、生きている間にもう少し分かりたい。あと20年ぐらいで自分が生まれた世界について、ほとんどのことを知らないまま去るわけで、それならあと1つぐらいならもうちょっと深く分かることができるんじゃないか。

演奏については全然だめなので、聞くのと学ぶのと、もしできたら作ることに限定する。壮大なシンフォニーを聞いて恍惚とするのもたまらないが、もうちょっと頭を使ってみよう。

とりあえず楽典を学んだあとは、和声や対位法と、いわゆる西洋音楽史などを並行して学ぶ。大衆音楽についても別途参考書が必要だろう。

しかしこの世を去る時期を見据えてなにかを学ぶというのはちょっと不思議な営みではある。死後の世界に知識を持ち込むことができるわけではない。ただ、この世を惜しむような気持ちだ。何かを残せたわけではないこの人生で、せめて何があったのかを知っておきたい。親族にも年齢を重ねても衰えることのない好奇心で、人生にゴールなどないかのように学び続けている人がいる。自分もそうありたい。