最後のブログ(仮)

90年代以降作り散らしたblog的なものの最後

AIと書いて愛と読む

そんな日が来ることを信じて。

母校の同窓会総会に参加した。ちょっとした気まぐれだったと思う。友人を誘って2人共初参加だった。母校は名前通りのキリスト教系の大学だ。自分はクリスチャンではないが、両親がそうだったし幼稚園もミッション系だったから自然な選択だった。Sランク国立私立大学に進学する同級生ばかりの中、第二志望とはいえここを選択するのは変わり者だったかもしれない。少なくとも浪人時代の予備校の同級生には不思議がられた。予備校での受験対策が無駄になるし。

併設されている、というよりもむしろ広い学園の中心に位置する教会で行われた会は、パイプオルガンの前奏で始まった。学生の頃から慣れ親しんだその音は教会を満たした。

同窓生の行ってきたさまざまな活動が報告される。

大きさ、強さ、順位のようなものだけではなく、もっと別のやわらかくあたたかいものが大事にされている場だと感じた。それは照れずに言えば、命とか愛とかそういうものだ。今の自分には新鮮だがとてもなつかしい感覚だった。

ネットを通じて目や耳に入ってくる情報は刺激の強いものが多い。欲望や感情をダイレクトに刺激すれば刺激に応じて数字を稼ぐことができる。その数字を求めて刺激の強さや量の競争が行われる。それは社会を駆動するパワーではある。だがその価値だけが重視されてしまう社会は人間的とは言い難い。

テクノロジーもそうなのかもしれない。十分発展する前にその荒々しい進歩に手心を加えるような躊躇はかえって害になるのかもしれない。そして現時点でのAIの進化の勢いは凄まじい。インターネットはすごかったが、ここまでの速度とそれがもたらすであろう破壊的な変化は想像を絶している。

ただ将来、そんなAIがもたらすものの中には愛があってほしい。それを無価値なものとしてしまう社会にはなってほしくない。そんなことをあたたかい雰囲気に満たされた教会の中で考えた。