最後のブログ(仮)

90年代以降作り散らしたblog的なものの最後

1億円持っていても、すかいらーくに行ったらうまいものは食えない。1万円しか持ってなくても、たまプラのSmokeyに行けばうまいうまい焼肉が食える。(なんて貧弱なたとえなんだ!)
A級ライセンスを持っていても、公道で時速200kmでは走れない。公道を走るなら教習所の教官の方がきっとうまい。
「コンピュータ、ソフトなければただの箱」と言われるが、たとえすごいソフトが入ったパワーマックG5デュアル2GHzがあっても、電気がなければただのオブジェ。


いつのまにか何事もローコスト、ロースペック、という選択が身に染みてしまっている貧乏性の自分。純粋なバリューではなく、コスト・バリューで物事を評価するクセは、恐ろしい。本当のバリューを見失うことがある。おれはもう見失っている。

金額の大小は2番目で、1番目に考えるべきはそれで得られるバリューなのに。

ケチとかセコさというのは、その瞬間のコストは最小化するかもしれないが、そういう判断の長期的な積み重ねは、その人自身のバリューを低下させるのではないか。


町のラーメン屋しか知らないヤツに大金を渡して店を作らせたらどうなるか?町のラーメン屋の豪華版ができるだけなのではないか。マホガニー製のカウンターの上には超高級な箱ティッシュが置かれ、クリスタルガラス製のコップに、カーボンファイバーで作られたセルフサービス用の水差し、クリスタルガラス製のビンに入った醤油・酢・ラー油が純銀のプレートの上に並び、奈良県産吉野杉の割り箸。これは一流?すばらしい?かっこいい?

だから、そう。金だけじゃダメなんだ。ぜんぜん。

きっと、金のために、金の力だけで作ったものは、金しか産まない。最悪、金も産まない。


以上、100万円の現金を胸ポケットに入れて夜の市ヶ尾を歩いた結果、効果的な使いみちがまったく見つからなかったということについて、しみじみ考えてみた。