最後のブログ(仮)

90年代以降作り散らしたblog的なものの最後

桜を見ない勇気

Twitter(CKAX: Currently known as X)のアイコンを、友人の死を悼んでしばらく前にみなとみらいで撮影したチョウゲンボウの写真に変更した。こうやって「友人の死」と打つだけでもいまだに抵抗がある。その情報は文字として見ただけで、マルチモーダルな方法で確認していないから感情的に受け入れられていないし諦められていない。手を尽くしてはいるが、今のところ反応がない。自分の中でちゃんとケリがつけられたら自画像に戻すつもりだ。

この件について考え始めると自分が停滞してしまうので他のことを考えることでそうならないようにしている。喪った友人のことについて時間をかけて悲しんだり誰かと語り合ったり思い出したりすることができない人生とはなんなんだと思わなくはないが、今現在が自分にとって重要な局面に差し掛かっていることも事実だ。

ついに3月が終わって4月になった。春だということを急に思い出したかのように暖かくなったが、桜もあわてて数日前に開花したらしい。桜は小石川後楽園新宿御苑で一緒に見たことがあった。……というように思考が引きずられてしまう。なのであまり積極的に桜を見るきになれない。

それよりも落ち着いて目先の難問をどうにかしよう。頭ばかり使ってないでたまには足を使おう。今までとは逆に足で頭を駆動しよう。そうすれば新たなものが見えてくるかもしれない。

話題になったアニメや億万長者が$100を90日間で$1Mにする動画などを見てセルフ鼓舞している。有名少年漫画誌のキャッチフレーズ友情・努力・勝利みたいなものには子供の頃からまったく乗れなかったが、勇気が重要っていうメッセージには共鳴できる。あれだけ連呼されて感化された面もあるかもしれないが、言ってると本当になることは案外ある。気力とか精神力みたいなぼんやりしたものではなく、意識を向ける先という意味で重要だ。子供がやっていた合気道で体感した「折れない手」という技でそれを知ったし、筋トレでもトレーニング部位に意識を向けるかどうかで結果が変わることも知った。これからは意識的に勇気を持って生きていきたい。おわり。