最後のブログ(仮)

90年代以降作り散らしたblog的なものの最後

加齢で前頭連合野の機能が低下したせいか

千の風になって」という歌があったが、あれが心に沁みるようになってしまった。流行した頃は「け。それっぽいね。」と思っていたのに、大事な人を何人も亡くす経験を積んでくると、ああいうふんわりした慰撫みたいなものこそが心に沁みる。

母方の親戚が多い家庭に生まれた。母を含む6人姉妹に最後に生まれた子供だったのでおば達をはじめいとこ達にも相当かわいがってもらった。でも数年前の長女を最後に姉妹は全員物故した。あの名物6姉妹の思い出には温かいものしかない。全員が母親みたいなものだった。

大事な友人も既に2人も失った。どちらも最後に交わした言葉がなんだったか思い出せない。それなのに永遠に去ってしまった。いつまでも癒えない生傷のようだ。そしてその数はこれから増える一方なのが確定している。

自分の次世代が育っていくのを頼もしく思う一方で、同世代以上の悲しみは積み上がっていく。死んだら無になるという認識で生きてきた。先日受けた全身麻酔でその認識はより確かなものになった。遠くの戦争で多くの命が失われるのですら耐え難いのに、自分の大切な人々の死が積み上がっていく現実を受け入れるのは容易ではない。それを単にいくつもの「無」として受け入れることは不可能だ。

でもどこかに天国とかあの世とかあってくれたらいいな、そこでまた会えたらいいなという願望が「きっと」満たされるはず、と思えると現実が生きやすくなる。ないと分かっているからこそ求める、そういう心の働きだ。そしてそんな時こそ超越性の出番だ。

無神論者の目で改めて浄土真宗本願寺派の法要を体験して感じるのは、あの黄金の空間と音、僧侶の声や所作、あらゆるビジュアルとサウンドと身体動作で構成された形式こそが超越へと導く仕掛けになっているということだった。豊かな倍音を含む鐘の音色やユニゾン微分音で構成された読経。そこに神秘が隠されていた。

ファクト、ロジック、合理性、のような唯物論的な概念が重視されがちなネット空間に存在しないものがそこには豊かに含まれている。人間の脆くて壊れやすい心は、硬いコンテナや段ボール箱では安全に保護できず、ふんわりとしたベールや風呂敷のようなものでないと包めない。

千の風になって」はそういうものだった。若い頃の自分は実に浅はかだった。高齢者に共感されたのは今ならよく分かる。高齢者とは単に年齢を重ねた人のことではなく、身近な死を数多く経験して耐えがたい悲しみを耐えている人々のことだ。そういう人に通じる「適切な」言葉なんてそうそうあるものではない。感情という不定形で得体の知れないものを慰められるのは、同じような不定形で得体の知れない何かしかないだろう。

 

この世を去ってしまった大切な人へ。あなたの魂の平安を心の底から祈っています。遠からず私がそちらへ伺う際は、またよろしくお願いします。