最後のブログ(仮)

90年代以降作り散らしたblog的なものの最後

A, B そして C

自分の性質的になんでも引き伸ばす癖があると感じていたので、あえて早めに決めて早めに結論を出すようにしていたが、最近になって早々に結論を出さずにむしろしっかり時間をかけるべきだと思うようになった。pivotを厭わない精神は大事だが、当初に決めた路線をちゃんと追求する姿勢はそれ以上に大事だろう。株もそうだが、自分がやろうと決めたことをうまくいかないからさっさと損切りするのは、実は逆効果だったのかもしれない。もし費用が嵩むなら必要な金はシンプルな方法で稼げばいいとも言える。まずは1年と設定して始めた錦糸町ラボは、これからが良い時期なのではないかと感じ始めている。なんとか頑張って最低でも7月末までは続ける。

そうなると市ヶ尾はどうするかということになるが、当初は二足の草鞋を履きつつアルバイトとボランティアで雇って回せるようにしていく。自分は二つの場所に情報や人を流通する役割だろうか。

結局、人は人と出会うために場を必要とする。ネット上に新たに出会うことももちろんあるが、共通の場で偶然に出会う方が「強い」。それを否定しすぎると失うものが大きい。自分の過去の過ちはまさにそれで、デジタルカメラが出現した途端に銀塩カメラから完全に乗り換えたし、メモやカレンダーはさっさとスマホに完全移行し、電子書籍ブームが来た時は蔵書の多くを自炊(死語)してPDF化してクラウドに保存し、書籍の新規購入は電子書籍に限定した。その結果何が起きたかというと、1996年からしばらくの間の写真は低解像度のデジタル写真しか残らず、自由描画できる紙を手放したことで記録が硬直化し、紙でしか出版されない書籍を大量に取りこぼしてある時期の読書量が激減した。

新しい技術が来たからと言って即シフトするのは明らかに浅はかで、それをしていた自分は、何をするかよりもどうやるかを重視してしまっていた。きれいな写真を残したければしばらく銀塩カメラの時代は続いたわけだし、良質なコンテンツを読みたければ媒体の種類よりも内容を見るべきだ。クルマについては独特の使い方をするので、どう考えてもEVにできないという結論を出したわけだから、他のものについても同じように考えるべきだった。

同じように人同士が偶然接点を持って交流の幅が広がるのは、物理空間でのことが圧倒的で、ネット上では情報量がかなり限られる。文字を読むことでわかることもあるが、人間として魅力的な人の書く文章が壊滅的なことは結構ある。人間はLLMではない肉体を持った存在なので、やはり物理空間で出会い交流する豊かさを放棄するのはもったいなすぎる。

かと言って、これから付き合いが増えそうな俺以上の世代との交流の物理空間に偏った「重さ」もまたなかなか耐え難いものがある。ちょうど良いバランスで付き合っていきたいものだ。

やはり性質の違う2つのAとB、その二項対立を超えた第三項としてのCを目指すようなスタイルがどうしても自分の中の癖のように残っている。男女とか、老若とか、都市と地方とか、ロゴスとパトスとか、まず自明な二項を設定してその両方に目配せをしつつ対立ではない解としてのC。

地方(とは言っても横浜のベッドタウンだが)と都会(とは言っても下町だが)の両方に片足づつ乗せて新たなCを作っていけたら面白いだろう。

睡眠不足で意味不明っぽいがたぶん後で読んでも理解できるはずと信じて終える。