最後のブログ(仮)

90年代以降作り散らしたblog的なものの最後

毎朝ちゃんと飲んでいるのに

どうしても疲れやすいんですよ。朝6時に起きて活動を開始すると、夕方にはエネルギーが切れる感じです。困ったものです。

先日は、今回の一連の経緯を総括する日記を書いたのに IE7 が暴走して消えちゃったら、気力も途絶えてもう一度書くことができませんでした。でも今は、子供が使わなくなったあと OS X を入れた iMacSafari で快適に書いています。


甲状腺機能低下症と言えば「橋本病」というのが定番らしく、私も十中八九そうだろうと思われていたのですが、TRAb という値が高いために、ちょっと違う病気である可能性が出てきたそうです。お医者さんによれば、甲状腺をクルマに見立てると、「アクセルとブレーキを同時に踏んでいる状態」なんじゃないかとのことです。あはは、自分で言うのもなんですが、なんかとっても私らしいですね。TSH(甲状腺刺激ホルモン)の値が正常値より3桁も高かったことを考えると、アクセルもブレーキも目一杯全力で踏み込んでいるということなのでしょうか。

それに、今の状況でどれぐらいの強度の運動をするとまた「高ミオグロビン血症」と「腎機能障害」に逆戻りしてしまうかわからないし、日々飲んでいる甲状腺ホルモンが筋肉の破壊をどの程度防いでくれるのかはっきりわからないので、基本的にはおとなしくしています。でも怠け者の自分がまさかこんな「具合が悪いのに頑張り過ぎ」っぽい病状になろうとは、ゆめゆめ想像できませんでした。それもこれも、タバコというリミッターを解除してしまったせいだったりして。


ですます調にしちゃったことも手伝って敢えてだらだら話を転がしますけど、そう、タバコ。21歳頃から吸い始めて39歳でやめるまで約20年も吸っていた訳です。しかも30歳以降はキャメルなどという強い銘柄を好んで吸っていました。喫煙経験者ならわかると思いますが、タバコというのは基本的にダウン系のドラッグですね。吸うとまったりします。感情のエッジが丸くなる。そうやって脳の高回転域を犠牲にすることによって、バーンアウトする危険性を未然に防いでくれていたような気もします。またそれと同時に、喫煙者だった頃の自分と非喫煙者である自分とを比較すると、やはり性格も微妙に異なっていることに気がつきます。判断の「あそび」が減って物事に対して若干非寛容になった気がします。なんか高校生の頃の自分を思い出して嫌な気分ですが、主観的にはその当時の自分の延長線上に今の自分はいます。

それ以降の自分に関しては、進学校で東大を頂点とする「男性的」価値体系に組み入れられ、あまりの息苦しさに不適応を起こして、その価値体系と直交する(と私は認識している)ICU へと逃走したものの、あまりの違いにタバコでも吸って自分の角を丸めないとやっていけなかった、ということなのかなぁ、と。ちょっとおおげさですが。

そうすると当時の「喫煙者の自分」と関係を結んだ人々と、「非喫煙者の自分」しか知らない人とでは、私に対して持っている印象も違うような気がするのです。そして、前者の人が、今の私と会うともしかして違和感を感じるのではないか?と思うのですが、どうやら必ずしもそういうわけでもないみたいですね。私の友人はみなすばらしい人たちばかりなので、喫煙の有無なんかには惑わされないということでしょう。ついでに書くと、これはいつもしみじみ思って落ち込むことなんですが、「私を取り巻く人々の雲」みたいなものを考えるとき、家族も含めてみなすてきな人たちばかりなわけです、私一人をのぞいて。こういう認識って、心理学的にはまったく逆の意味を持つんだぜとか言い出す人がいそうで身構えちゃうんですが、でもほんとにそうなのですよ。私は、私自身で誇りに思うことがあるとすればそれは私を取り巻く人々のすてきさ以外にないと、わりと本気で思っているのです。そして同時に、それに見合う自分でいられるようにがんばらねば、と思うのです。

でまあ話を戻すと、喫煙の有無はわたしの本質を見抜いているやさしい友人たちにとってはあまり関係ない、ということになると今まで延々してきたこの話はなんなんだ、ということになるわけですが、このぐだぐだ感も病状の一つということでまあ収めていただきたく。