最後のブログ(仮)

90年代以降作り散らしたblog的なものの最後

もじゃもじゃしたものが好きなのか

突然だが、先週の水曜日、次男が言い出したのがきっかけとなって、我が家にフェレットがやってきた。名を「たろう」という。なんでも「ハムスターはハムたろう。だからフェレットはフェレたろう。苗字がフェレ、名がたろう。」だそうだ。この件に関しては、次男→ツマ、と影響が波及し、結果的には動物大好きな元不思議少女現不思議さんであるツマの即断によって、彼は我が家に来たのだった。


たろうはまだ生後3ヶ月。フェレットは暑いのが苦手なので彼の部屋は夏中冷房の予定だ。なんというか、暑いのが苦手な生き物をほとんど亜熱帯と言ってもいいようなこの国で飼おうと試みるのは、動物愛護的観点からもエコロジー的観点からもどうかと思わないわけではない。ちょうどエアコンをつけた部屋で羽毛布団に包まって寝るような不条理さを感じざるを得ない。


だがそうは言っても、部屋中あちこち探索をしたり、人間と接触を試みたりしているうちにどんどん今の環境に馴染み始め、寝床ですやすや眠るたろうにとって、そんなことは関係ないらしい。おれは一応、冷静たる第三者として傍観を決め込もうとしているのだが、いずれあの「かわいいビーム」の餌食になることは目に見えている。だがそれまで、せめて他の3人が頭に血を上らせてたろうをかわいがり倒している間だけでも、おとなしくしていよう。


とは言え、事の成り行きで抱いたり遊んだりするわけで、まるで動くぬいぐるみのようなたろうの肌触りは心地よい。哺乳類の多くは体中に毛が生えている訳だが、人間の多くにはほとんど毛が生えていない。ところがなぜか、ひとはもじゃもじゃした動物やらぬいぐるみを好む。なぜだ?女性のすべすべの肌が好まれる一方で、もじゃもじゃの動物も好まれる。あの毛のもじゃもじゃには何か秘密が隠されているに違いない。毛というのは、もともと体温を保持したり、外部の衝撃から身を守るために発達したのだろうが、そのもじゃもじゃ感に心地よさを感じる回路が人間に内蔵されているのが不思議だ。


自分の会社では、いずれロボット関連業務にシフトしていくつもりなのだが、この「もじゃもじゃのなぞ」は重要なテーマになるかもしれないな。