最後のブログ(仮)

90年代以降作り散らしたblog的なものの最後

主に学校だけで使われる「用語」が嫌いだった。

「学習」「ひっつく」「ナフキン」などなど。表の世界で売られている本や雑誌などでは使われない専門用語。そもそも「ナフキン」なんて妙な言葉、「布巾」に引っ掛けた造語だろ?(「ナ布巾」?AA分解すると「ナナ巾巾」(笑)再結合すると別の漢字2文字にできそうだな‥。)口を拭おうが血液を拭おうが napkin はナプキンでいいと思うんだが、妙な言葉を作ってでも敢えて区別しようとするのは日本人ならではの潔癖性によるものなのかな?それとも多感なお年頃への配慮?でも却ってタブー化しちゃってる気もする‥。
今でもその手の専門用語は残っていて、先日子供のプリントで目にして違和感を覚えたのが「めあて」。どうやら「目的」や「目標」が漢語で難しいということで採用されているらしい。「めあて」ねえ。昔タモリがしてたアイパッチを思い出すなあ。

こういう用語を照れも衒いもなくスラスラ使いこなす奴がクラスには数人いたが、そういうヤツラとはどうも仲良くできない。子供の持ち帰った文集にもそういうタイプの子が書いた文章が載っていて寒気がした。やっぱ優等生は苦手だ。でもこんなヤワな感受性でどうやって実社会を生きていくというのか。ますます鈍磨するようあるいはスルー力を磨くよう、精進したい。


思いついたので列挙。人生におけるプリントされたA4用紙の呼称の変遷。


小中高時代:プリント
大学時代:ハンドアウト
会社員時代:資料
大学院時代:資料、ドキュメント
再度会社員時代:資料
小学生の親になって:プリント


プリントされたA4用紙をなんと呼ぶかによってあなたの属性がわかる!なんてね。