最後のブログ(仮)

90年代以降作り散らしたblog的なものの最後

クスリを減らされた影響でここしばらくは生ける屍状態で、ろくなアウトプットをしてこなかった。トラックパッドを擦るか、検索キーワードを入力するためにキーボードを叩く程度で、まとまった文章やコードを書いていない。先日の診察で「検査結果の数値がどうであっても、今の状態を正常と言われてしまったら、日常生活を維持することができません」と訴えたところ、元の量に戻してくれたので、徐々に活力が蘇ってきた。


甲状腺ホルモンが不足している状態というのは、なってみないとわからない。自分自身でも足りているときは忘れている。自虐的に「だらけ病」とか言ってはみるが、気合とか根性でどうにかなるものじゃない。どうにかなると言う人は、是非一度自分の甲状腺ホルモンを止めてみてから言ってほしい。バッテリーが弱ったクルマはスパークが弱くてエンジンパワーが出ないのと同じようなもので、いくら燃料が入っていてもちゃんと燃えなければパワーを生み出さない。人間のケミカルなハードウェアが正常に動作した上ではじめて健全な精神活動が可能なのだということを忘れてはいけない。


医者はきっと頭では分かっている。それはもう間違いないし、疑ってもいない。でもこの症状のやるせなさを一度味わってもらってからなら、もっと素直に言うことを聞けるだろう。どんなに無気力感や不調を訴えてみても「気のせいです」「甲状腺とは関係ないと思います」と言われるあの絶望感。これはきっと、他の病気でも同じなんだと思う。


母がリウマチでたびたび入院していたとき、毎回、体中の関節という関節を切開されて滑膜を削られたり、人工関節を入れられたり、症状に応じた段階ごとの「適切な」治療が行われたはずだった。ひどい痛みと引きかえに、症状が改善したはずだった。母が死んでしばらくして、テレビで自分がリウマチに罹患した整形外科の女医さんが「自分は患者の本当の痛みが分かっていなかった。今までなんて辛い治療を強いてきたのかと思った。」というようなことを言っていて、やっぱり医師の理解と患者の心情には埋めがたい深い溝があったのだな、と思った。今まさに自分が同じようなはがゆい現実に直面してみて、恐らく母も感じたであろう、苦しみを他者に理解してもらえないいらだちの片鱗を味わっている。


これはなにも医師と患者との間に限ったことじゃなく、親子だったり、男女だったり、世代間だったり、株主と経営者と従業員と外注と顧客だったり、ほむらとまどかだったり、あらゆるところにディスコミュニケーションのタネは転がっている。想像力を働かせて他者の立場から状況を見てみるという、ありきたりなことしかそれを乗り越える方法が思いつかないが、それでも何もしないよりはきっとマシだろう。とはいえ過度なシンパシーは逆に状況を硬直化することになるから気を付けないといけない。ほどほどにするか、そうでなければ状況全体を覆い包むような存在になるしかない。ほどほどというのは、これがまた難しい。気の毒な相手を見ていると、自分が損する方がラクでいいや、って思っちゃいがちだから。後者はもはや神いわゆるゴッドであって、人間としてある物理的立場を持つ限り魔法でもないと不可能だ。ついこの視点で語ってしまいがちだけど、いくら上手に語ることができても、そのとおりに行動することはできないんだ。自戒を込めて。