最後のブログ(仮)

90年代以降作り散らしたblog的なものの最後

平日

先週からゴールデンウィークが始まっているが、今日はカレンダー通り平日の人もいる。ところが我が家の子供たちは、私立中学生の長男も公立小学生の次男もなにやら理由があって休みである。家族としてなにか予定があるわけでもないが、明日しばらくぶりに家族4人が揃うので少しぐらい遊べたらいいなとは思う。だが、次男には「特訓」が待っている。


来年2月の受験に向けて次男は着々とその準備を進めている、と言いたいところだが、なかなか悩ましい状況だ。かのA中学校を第一志望としているのだが、そこの偏差値は現在彼が頂戴している偏差値とは月とスッポンなのだ。合格したら、受験体験記が出版できるぐらいの差である。だが、一旦そのA中学校を第一志望から外してしまうと、今以上のモチベーション低下を招くかもしれないのでそのままだ。親ばかだが、過去の次男の様子を見て一縷の望みはあるとまだ信じているということもある。一緒にがんばりたい。


中学校受験の勉強はくだらないとは思う。ただ、まったくフレッシュじゃないフリーズドライの味気ない知識を詰め込んだとしても、それは確実に血肉になり、将来予期せぬ時に生かされたりする。どの知識が生きるか分からないから、今まで人類が勝ち得た知識はかたっぱしから詰め込んでしまえ、という教育方法も一つの見識ではあると思う。ただ、材料があればそれで済むわけではなく、より重要なのがそれを料理する能力で、これは反復練習と難問を前に何日も悩むような体験を通して自分で身につけるしかないのだと思う。そしてそれはきっと高校で期待されるものだろう。


効率と品質をリニアに追求すれば良かった第2次産業華やかなりし時代は過ぎ去り、今やあらゆるサービスで知恵比べの戦国時代である。そうなるといかなるベクトルでコンペティティブであるかということが重要になる。数多くの新しい概念が生み出され、流通し、消費され、消滅する。だが本質的なことはそれほど多くはない。その本質の部分をきちんとおさえて腹の底から納得しておくこと、つまり教養を身につけること、が今後ますます重要になるだろう。これこそが子どもたちに国際競争力などという陳腐な概念で語られるつまらない粗品ではなく、真の意味で国際人たりうる未来というプレゼントをもたらすことになるだろう。だが、公立初等教育はまったく効果的にこの役割を果たしているとは言いがたい。だからビジョンを持つ私立の学校へ子どもたちは殺到するわけである。