最後のブログ(仮)

90年代以降作り散らしたblog的なものの最後

だいたい予定通りに進んでいる

予定通りに5月中に結論を出して6月上旬に契約、鍵を受け取った。掃除をしてこれから事務所として必要最低限な物品を移動する。入り切らなかった物品については泣く泣く処分する。今の時代、今のような仕事スタイルなら大画面のコンピュータとスキャナ兼用のカラーLBPがあれば十分と言える。あとはそれが電子入札用のカードリーダーが繋がるWindowsだったりMacOSが走ったりしてくれればいい。実に明快である。そして今後の運営プログラムを考え、協力者と相談して決めて、実際に着実にオペレーションを重ねる。そしてプログラムについてはPDCAサイクルを回しながら改善していく。同時にSNSを中心に広報宣伝もやる。タスクとしてはシンプルだ。

ところがどういうわけか気分が優れない。どういうわけだ。

もちろん大きな理由は健康面の不安だ。昨年9月以降、肥満症、境界型糖尿病、前立腺がん疑いときて、5月に入って胸が痛むので心エコーやMRI撮ったら狭心症とのこと。まさに生活習慣病アソートである。しかもいずれも本格的な症状が出る前の段階のものばかりで、生活習慣さえどうにかすれば先延ばしできるような状況だ。逆に言うと、今は綱渡り状態だと宣告された訳で、油断すると落ちるということ。つまり油断できない。食生活も運動も。油断すると悪化するので気が抜けない。それまでの甲状腺機能低下症、喘息、関節リウマチがかわいく思えるレベルだ。それが憂鬱さの原因の1つだ。

もう一つはたぶん今の自分の58歳男性の姿というものが、自分がなんとなく想像していたものとも社会で期待されているものとも異なるということ。想像以上に不健康で、想像以上に大事な人々を失っている。想像以上に社会的な地位が高くなく、想像以上にぽんこつで、想像以上に人生経験が乏しい。海外にもほとんど行ってないし、スカイダイビングもしたことがないし、オーロラも見たことないし、サーキットを走ったこともないし、飛行機の操縦もしたことがない。あらゆる状況で幸せが見つかるというのは嘘ではないが、自分がそういう際の「幸せ」を求めている人間とも思えない。臆病な割にもっと刺激や興奮を求める人間だったはず。臆病さが前面に出過ぎて自分から機会を逃し続けてきた。

想像以上に大事な人々を失っているのは想定外だった。親や親戚はしかたない。自分よりも42歳年上の母や34歳年上の父をはじめ、それよりも更に上の親戚や破天荒な従兄弟がこの世にいないのも受け入れられる。ただ、よりによって、大学時代のとくに親しかった友人2人が今この世に存在しないのはなぜだ。失って10年も経過した彼については受け入れつつあるものの、3年前の訃報をほんの4ヶ月前に見つけた彼女についてはいまだに悲しみが着地していない。3年も経過していると真相を探るべく試したいくつもの手はいずれも不発で、いまや記憶を頼りに得た情報から親戚の現住所を推定するというような、文字通り雲を掴むような試みしか残されていない。高校時代の親友が悪性リンパ腫の治療を始めたり、大学以来ここ10年ほど特に親しくしている年長の友人が定年後に再就職した先で超絶ブラックな労働を強要されているとかもある。

そこに重ねて自分の健康不安。70まで生きられたらラッキーとは思っていたものの、60前に強制現役引退ってのはちょっと早すぎる。なにより健康のためにがんばって運動しようとすると胸が痛むのではおちおち運動もできない。

神は乗り越えられない試練を与えないというのは明白なSurvivorship Biasの1つで、今まさに1つ1つは乗り越えられそうなのに、ぜんぶまとめて来られたら無理ぽな試練を与えられているので、これらをまとめて乗り越えられなかった場合の結果ってなんだ?最悪死んだり脳梗塞で倒れて家族に負担をかけたりするやつだろう。

自分だけでなく周囲にもあちこちに死の影がちらついてきた。ここの商店街の仲間たちもアラ古希どころかアラ傘寿が数人いるし、これから10年(自分が生きていれば)ほどは気が抜けない。

老いってのはたぶんほとんどの場合、50歳以前にそうぞうしていた以上にダメージが大きいものだ。設計寿命を超え生産(生殖)活動からも卒業し、若い頃に心身にかけていた負債の返済を一気に求められる。太く短く生きるかOR細く長く生きるかという問いは多くの人にとっては無意味で、だいたい皆、細く短くしか生きられないのだ。合掌。