最後のブログ(仮)

90年代以降作り散らしたblog的なものの最後

またしても放置

気がつけば1年近く放置していた。

この1年は新型コロナウイルスという現在生きている人々にとっては未知の敵との闘いの1年だった。そしてそれはまだ終わりが見えない。いや収束しつつあるのは間違いなさそうだが、本当に収束するかどうか、何らかの知識を持つものは誰もいない。

いろんな意見が飛び交い、五輪についても判断が何度もひっくり返り、遂にはコロナとはまったく別の理由によって大会委員長が更迭されたりした。

DXとかジェンダーバランスとか、今まで問題視されながらも目に見える実益がよくわからない暗いトップ層が多くて放置されていた問題が、ちょっとだけ前進したようにも見える1年でもあった。

ちょうどDr.Stoneというアニメをだいぶ遅れて見始めたのだが、こういう社会状勢下では獅子王司的思想に引っ張られる人が増えるのは避けられない気はする。コロナ禍での右往左往を見て何かよくわからない慣習に最適化された歪な日本の姿を目の当たりにして、若者はその肩の荷が想像以上に重く感じられることだろう。

時を前後して、ルワンダの情報に接する機会が増えた結果、彼の国の状況を耳にした。極めてチャレンジングだった歴史の後には、結果として若者が自由に活躍できる土壌が残ってしまったという皮肉な現在があると。もちろんそれはそうやって肯定的に捉えるしかないだろうが、今の若者が支配層になった時、世代間対立を避けることはできるのだろうかと思わずにはいられない。

田舎を離れて戦後に都内で家庭を持った両親が第一段ロケットとして地面から離れる大役を果たしたものの、第二段ロケットの自分が次世代を次の目的地まで運ぶだけの働きができているのか甚だ疑問だ。そうでなければ、人口1億人世代のど真ん中に生まれて死ぬ私は、まさに人口ボーナスの賜物ということになってしまう。子供たちには彼らそれぞれの性質や発達に応じて適した教育を与えることができたと自負はあるが、成人してしまった現在となってはこの先は彼ら自身の頭と足に委ねるしかない。必要に応じて援助はするとしても、ドライバーは彼ら自身だ。

個人的にはコロナは世界的にも一応年内に収束をみると思っている。そしてひょっとすると五輪は開催されるかもしれない。委員の40%以上が女性になった結果、なんらかのパラダイムシフトが起きるかもしれないし起きないかもしれない。自分は現代の五輪そのものにはあまり肯定的ではなく、全部をアテネに戻して地味にやるのがいいと思うが、世界中のアスリートが今年の開催を強く願うなら、なんとかしてその道を探ってもいいのかもしれない。

 

さてこれからどうしようか。