最後のブログ(仮)

90年代以降作り散らしたblog的なものの最後

シフトチェンジ

前回から約一ヶ月経過した。その間にいろんなことがあった。

狭心症らしいと言われていた症状は6/20~23の検査入院でカテーテルを通すことになった。

手首か鼠径部からカテーテルを通すということで、鼠径部については電動シェーバーを渡されてセルフ剃毛しろとのこと。どこかで聞いたことのあるファンタジーはそこになかった。が、装着型の尿カテーテルの着脱の際は若干の困難に伴う些細な悶着があり、自身の未熟さを再確認してしまったが恥ずかしいのでここには書かない。

術中はX線で血管の造影をしながら作業できるよう、直交する2台の2軸X線透視装置とXY移動する手術台によってあたかも3Dプリンタのベッド上の造形物のように動かされた。映像が表示されている複数の巨大モニターも医師の操作で自由に移動する。首を動かして見ようとしたら「動かないでください」と冷静に制止されてしまった。退屈だ。医師同士の会話の内容も専門的で意味がさっぱり分からない。おれも会話に混ぜてほしかったが、時折「ご気分はいかがですか?」と聞かれるのみ。途中で予想通りステントを通すことになったと伝えられ、結局2時間半XYステージに固定されていた。

翌日医師から説明があった。それによると、左冠動脈の枝分かれする前の太い部分と枝分かれした先の2ヶ所、右冠動脈が1ヶ所それぞれ99%, 50% 狭窄していて、前者に対してステントを2個入れ、後者は適応外で様子見。99%狭窄については動画で見せられたがほとんど血が流れておらず、放っといたら心不全で突然死したところでしたよ、命拾いしましたね、と言われ驚いて笑ってしまった。そんな大事だったとは想像もしていなかったし、初診時の循環器の医師だって「その痛みはたぶん心臓じゃないと思います」って言ってたわけだから。するってえとなにかい?自転車で三ッ目通りから春日通りを左折し湯島に向かって颯爽と駆け抜けていったあのどこかの瞬間に、ぽっくり逝ってたかもしれないってえことかい?それはそれでめでてええじゃねえか。だがステントによるパワーアップによってもはやそんな僥倖は二度と訪れないことが確定してしまった。ただ、心臓の血管に動脈硬化があるということは、他の部位つまり脳や頸動脈にもある可能性が高いので、それらについては別途人間ドックを受診することを勧められた。8月の外来が終わったら予約しようと思う。

その後なんの問題もなく3泊4日で退院したが、しばらく薬を3種類多く飲むことになった。抗血小板薬いわゆる「血液をサラサラにする薬」とコレステロールを下げる薬だ。前者はその呼称とは裏腹に強烈な効果を持つ薬で、ひとたび怪我などで出血すると止まらなくなりがちだ。亡父の転倒がもたらした脳内出血はこの薬の作用で止まらず、結果的に死因に結びついた。自分も父よりも15歳ほど若い頃からこれを服用することになるとは思わなかったが、飲むとなったからには怪我などをしないように注意せねばならない。コレステロールを下げる薬ってのはこれまた強烈な薬らしく、食事の工夫程度ではどうしようもないレベルまで下げてくれてしまうらしい。そんなことを聞いたら安心して高コレステロールの食事をしてしまいそうだ。

退院後、数日経つと明らかに調子が良いのが実感できた。多少心拍数が上がっても胸も痛くならないし、全身のむくみっぽい感じも低下した。これでしばらく元気に過ごせそうだ。ありがたい。始めたばかりのコミュニティ・スペースづくりの計画も中止せずにすむ。

そしてその計画だが、こちらもゆっくりながら進んでいる。懸案だったネーミングとチラシができた。去年知り合った地域のNPOのOさんの力を存分に借りて、長時間の対話を重ねながら、いくつも考えていたネーミング案から1つを選んだ。その後、彼女が作ってくれたチラシの原案を自分なりに変えてできあがった。今後はこれを持って関係各所を訪問し営業する。ネーミングにしてもチラシにしてもNPOの方々に手放しで褒められてしまってちょっと恐怖だ。褒められ慣れてないのもあって疑心暗鬼になってしまう。だがその不安を妻に伝えると、木に登らないままのブタではなく、おだてられて落ちるかもしれないけど木に登るブタになる選択をしたんだからそのことに価値があるし、裸の王様になることを恐れない方が良いと言われ、真に受ける覚悟を決めた。感謝。

商店街やNPO、地域に応援してもらう一方で、会社としてはビジネスとして成立するようにやるしかない。ばら撒くほどの財力があるわけもなく慈善事業でもない。ただやるからには、結果として公益性が生まれてほしいと思っている。そこはゲンロンを手本にしている。

地域社会という「和」の世界と、ビジネスという「積」の世界の汽水域にしたいとは思うが、当然のことながら簡単ではない。それぞれの世界にはそれぞれのロジックがあり、それらがあまり融合していないのは理由があるからだ。だがそれら2つの世界は2つ存在する理由があり、同時に相互の交通があることこそが本質的に重要だと考えている。

昨年の秋から芋づる式に始まった健康上のトラブルも、ここに来て一段落した。そして、今まで未練がましくこだわっていたエンジニアという看板もおろして元エンジニアとし、コミュニティ・スペースの運営へとシフトチェンジした。当初個人的にはシフトダウンだと思っていたが、冷静に自分を評価すれば、今までエンジンはブンブンふかしていてもギヤが噛み合っておらずニュートラルのまま空走していたのを、シフトチェンジしたことでギヤが入り、やっとタイヤが駆動され始めたということだ。100km/hで走るために5速に入れようとしていたのを、3速に落としたことで加速してくれそうだ。今の自分の体力にもちょうどいい。

悪友からは「終活か?」などと言われるが、ほとんどの人は余命宣告を受けてないだけで、みないつまで生きられるかなんて分からないから、生きること自体がそもそも終活だ。