最後のブログ(仮)

90年代以降作り散らしたblog的なものの最後

これからどう書いていこうか

祖父とその周辺の人々について記していく上で、いくつか考えなければいけないことがある。それは登場人物はほぼ故人とはいえ実名を出すかどうか。また、場所などの固有名詞はどうするか。それはこれから何を残したいかに依存する。何が出てくるかわからない段階で、すべてを公にするにはそれなりの覚悟が必要だ。

戸籍を集めて分かったことは、祖父からスタートしていくつにも分岐していく枝葉の先には、彼のことを快く思っていなかった人もいるだろうということだ。また、現在の法や倫理に照らして許容できることばかりではないこともある。本当に「歴史」であればさして問題にならなくとも、明治初期から昭和中期までのことであれば、その関係者や子や孫も存命である可能性が高い。そういう人たちにとって祖母や祖父の行いが公になることは、常に喜ばしいこととは限らない。

いきなり本名で完全な原稿を仕上げられるような力は自分にはないから、ハードルが低いblogを記録を継続するために借用するわけだから、仮名で進めていくのが妥当ではないか。もしこれを他の方法で公開するときに再度慎重に考えれば良い。

最後に、戸籍から判明した祖父が生まれた年を記して終わることにする。明治3年だ。明治5年以前は旧暦なので現在のグレゴリオ暦でいえば1871年ということになる。ちょうど150年前だ。それがまさに今これを記している理由の1つでもある。

自分と同世代(1965年生)について典型を考えるなら25歳で子を産むと仮定して、親は戦中〜戦前生まれで昭和10年(1940年前後)代生まれ。そしてその親である祖父母なら大正初期〜明治末期(1915年前後)ぐらいの生まれだろう。私の祖父はその例で考えると曽祖父並、下手すると高祖父でもおかしくない。一世代が倍ぐらい長いのは、祖父が50半ば、大正後期に母が生まれ、そしてその母が私を産んだのが40代だったためだ。150年を25歳で繋いでいけば今ならもう7代目(昆孫)が生まれているが、こちらはやっと4代目(曾孫)が成人したところだ。私以降多少スピードアップしたが、全体的に子供が遅い家系だ。

それにまつわる悲喜こもごものエピソードもあるが今はやめておこう。