最後のブログ(仮)

90年代以降作り散らしたblog的なものの最後

人が死ぬということ

ここ数年の間に身近な人を3人亡くした。自分を産んだ母はもう20年以上前に亡くなった。彼らは今でも自分をはじめとする人々の記憶の中や写真の中で生きている、という言い方はもちろん可能だ。折に触れて思い出を語ったり、墓参をして記憶を蘇らせたりする。子供たちに語って聞かせることもあるし、彼らの中にその遺伝子の断片を感じることもある。

ただ、当然すぎることだが、死ぬとは第一義的に肉体が消滅することだ。握っている手の中でさっきまで脈打っていた手の血管の拍動が止まって二度と再開せず、耳に届いていた微かな呼吸音が止まり、無機質なモニターの音が拍を刻まなくなる。父を看取ったときは、きっと彼をないがしろにしてしまっていた罪悪感がそうさせたのだろうが、意識を失ってから病室でずっと手を握っていた。3日後の朝、息を引き取った。2日目の夜にはすでに翌朝の10時半に、父のイメージとは正反対のこの弱々しい生命活動が停止するだろうことは確信をもっていた。だから家族にはその頃に来るように伝えておいた。本当に時間通りに息を引き取ったが、あまり驚かなかった。こういう時はなぜか分かるものだ。

生命活動を停止した肉体、さっきまでの生きていた状態と決定的に異なる状態に不可逆的に遷移した、このなんと形容して良いかわからない、父と呼ぶには抵抗があるが、さっきまで父だったもの、はそのまま放置すると驚くべきことに食材の牛肉などと同様に腐ってしまって衛生的に問題があるので、日本の法律では火葬することになっている。

火葬場に運ばれ、炉に入れられて閂が掛けられる。小一時間ほど後に呼ばれて出てきた骨を拾う。母のときもそうだったが、焼かれて骨になった姿を見た瞬間に膝から崩れ落ちそうになる。当然頭では分かっている。死→火葬→骨 という流れは一直線であって、肉体をもったままの死と、骨になった状態は実質的にイコールで結ばれているはずだ。だがやはりまったく違うのだ。焼かれた結果残る骨には圧倒的な無機質感があって、なにをどうやっても元の姿に戻ることはない絶望感を突きつける暴力性がある。そこに知っている「姿」はもはやない。

その大小の破片になった骨は丁寧に骨壷に収められ手渡される。圧倒的小ささ。軽さ。数年前に友人が自死したことを知り、慌てて実家を訪れたときも、骨壷を見た瞬間に全身の力が抜け、とめどなく涙が溢れた。圧倒的無力感。肉体が失われるということがこれほどまでに圧倒的なのか。ネットだバーチャルだといっても、その背後に実在する肉体への信頼こそがコミュニケーションの意味を担保しているのだ。

肉体=生命が失われることで、あらゆる契約関係や所有物は主を失い、それらは宙ぶらりんになってしまう。所有者を失ったモノたちがこれほどまでに虚しいのかと思った。遺品を整理する上で目の前に存在する衣類や小物たちは、生前に自分が見たことがなかったり、気に留めたことがなかったりする。それらのモノの記憶は本人たちにしかなかった。それが失われ、自分もその記憶を共有していなければ、もちろん想像で補うことはできても、それらのモノたちはコンテクストを失い、純粋なモノへと還元される。母や父や伯母や友人の肉体がなければ、それらのモノにはどれほどの意味があろうか。

今回これを書こうと思ったきっかけとなった知人の死は、親しい人ではなかったものの、何回か会った時の記憶として声や顔や姿や動作が残っていて、それが故に衝撃を受けることになった。これが果たしてネット越しだけの関係だった場合、ここまで心が痛んだろうか?

人の死は肉体が滅んだときではなく人々の記憶から失われたときだ、という言葉はとてもよくわかる。痛いほどわかる。だから自分の近しかった故人達は、他の誰が忘れようとも自分だけは絶対に忘れない。きっと自分しか覚えていなこともある。しかし、やはりとはいえ、肉体が失われることが死なのだ。あの圧倒的喪失感。「実在」という言葉そのもの。触れ合える、言葉を交わせる、会える。

コロナによって身体性を削いだコミュニケーションの味気なさや貧しさがむしろ認知されたように思える。人は他人と触れ合わずに生きていくことはできないし、死とは触れ合えなくなることだ。