最後のブログ(仮)

90年代以降作り散らしたblog的なものの最後

なにか不条理なものに対して

怒りまくっていたフェーズは過ぎ去り、諦念とともに受け入れるフェーズに移行した。まだ若く未完成なものに対して熱意を持って接することにはなんらかの意味があると信じられるが、完成から熟成を経てほんのり腐臭すら漂うものに対して、それを変更しようというのはおこがましいし実際不可能だろう。それに多勢に無勢。民主主義的な意味での軍配は我に上がることはない。主よ、変えられるものを変える勇気と、変えられないものを受け入れる忍耐力と、その2つを区別できる知恵をお与えください。と柄にもなく唱えてみた結果、あああれは変えられないものだ、と理解したのだった。であれば、求める結果への理路が間違っていようが、最大多数の最大幸福と信ずるものを得るが良い。我はその行く末を見守ろうではないか、という境地に至った。ここは自分にとってあくまで訓練の場であって、実践の場は別にある。それを今一度思い出したのだった。

一方で都内の拠点の整備は着々と進んでいる。ちょっと変な物件を見つけたので地元不動産の人に案内してもらったら、なかなか良い。眺望も良いし、屋上にも出られる。しかも安くて間取りも細かく区切られてない。住もうとするなら若干気になるポイントはあるものの、仮の住まいなので一切気にならない。むしろ弱点は有効に活かそうと思える。しかも契約後に分かったことだが、ここは自宅では決して得られない10Gb光が引けるのだった。ここを拠点に何と交わり、企て、生み出し、送り出せるか、希望が膨らむが、そうは問屋が卸さないので、地道に着実に行く。

しかし秋葉原や浅草橋、上野などにアクセスが良いこの地は、自分が育ったベッドタウンとは街の成り立ちがまったく異なっている。実に新鮮だ。ここは駅名がすべてが一通り揃う街の名前として通用するが、都会のベッドタウンは文字通り住宅ばかりだ。商業機能は駅周辺に若干あるだけで、山を切り開いて作られた住宅地は坂が多く、駅から離れた一軒家に住む高齢者にとって買い物はかなりの苦行である。

都心で働くホワイトカラーと、それに対応する主に寝に帰る場所としてのベッドタウンは、ワーカーを地域社会から切り離し、その結果やせ細った地域社会が残される。主婦や子どもたちは行き場を失う。そしてそれをサポートする存在が必要とされる。定年を迎えたサラリーパーソンは主に男性で、何十年も縁がなかった地域社会にいまさら溶け込むのはかなり難しい。

職住が完全に分離され、ぎゅうぎゅう詰めの電車という実に窮屈で細い交通のみで接続され、毎日疲弊しながら40年近くを過ごすのと引き換えに、ベッドタウンの一戸建てを得るのは本当にバランスしているのだろうか。せっかくの一戸建ても主が疲弊してしまった結果、十分に生かされないだけでなく、主婦の掃除や庭の手入れの負担を無意味に増加させているのではないだろうか。

リモートワークという形態が多少は認知された結果、無意味な通勤によって心身をすり減らす必要は若干低下したようだが、それと同時にサラリーパーソンは会社の人間関係だけでなく地域社会でもちゃんとした人間関係を紡いでおいたほうが良いだろう。その際には、会社での肩書や役職を離れて素の人間として他者と接するような、オープンマインデッドな姿勢が大事だ。その地域社会で活かせるスキルがあるなら活かせば良いが、ただの肩書は邪魔にしかならない。だがそれができる人は一握りだ。