最後のブログ(仮)

90年代以降作り散らしたblog的なものの最後

数日経過したが

いまだに家族とは連絡が取れず、何があったのかまったく分からないままだ。頼むから早く真相を知りたい。なぜ彼女はこの世を去ってしまったのか。自分の意志でないと思いたいが、その可能性は十分あることも知っている。この状態をいつまで続ければいいのだろう。生死が関わる作品に接するだけで感情の半分以上が奪われてしまう。

何があった。

無題

作家の友人が展示会を開く会場、その場所の名前を聞いて、むかし大学のサークルの親しかった仲間をよくそのそばの自宅まで車で送っていた頃のことを思い出した。記憶を頼りにネットの地図を辿り、その場所を見つけたが更地になっていた。1年前の画像だ。そこから過去の画像を遡ってみるとほんの3年前にはまだ家が建っていた。何があったのか気になってしまい、名前を検索してみた。SNSなどはやらないタイプなので期待していなかったが、なぜか大学の同窓会誌がヒットした。嫌な予感だ。リンク先のPDFは約3年前のものだった。その終わりの方のページの訃報の中に彼女の名前を発見してしまった。間違いようがないその名前。

今でも付き合いのある当時の友人2人に連絡した。既読になってからしばらく間があった。返事をしあぐねているように思えた。少し苦しげに送られてきたメッセージは言葉少なだった。

彼女には色々な背景と事情があった。共有していた時間の中に埋まっていたそれらを取り出して確かめてみたが、釈然としないものだけが残った。時期が時期だけに原因は他にも考えられた。

本人は決して大学の同窓会誌に自分の訃報を載せるようなタイプではなかったが、それが掲載された背後には同窓生に周知したい家族の意思が当然働いていた。ひょっとすると特定の誰かに届けたかった可能性すらある。なのに3年間その意思をキャッチできずにいた。ある時期もっとも親しかったはずの自分が。

どうすればいいのだろう。この事実を知ったからといってできることはもはや何もない。四角い石の前で手を合わせたところで何も蘇らない。そうなる前に知りたかった。10年前にも同じ感覚を味わった。親しかった俺に何も言わずに逝かないでほしい。無理を承知でそう思う。おそらく最大の原因は「親しかった」と過去形で語るしかないような関係の変化なのだろうが。

この宙ぶらりんの気持ちをどこかに繋ぎ止めるための形としての墓参をすれば少しは安心するのだろう。いやもはやそれしかできないが、何の意味があるだろうか。ありありと思い出すことができるその人のクオリア。自分に向ける表情、声、仕草、言葉。写真や動画には決して記録できないそういったものだけが思い出され、そして永遠に失われた。

自分にとって「友人」や「親しい」は動作ではなく状態であって時間の経過だけで変化するものではないから友人は基本いつまでも友人だが、人によっては会う回数ややり取りの頻度によって変化するものかもしれない。友人?

言葉は言葉で表現できるもの以外すべてを削ぎ落としてしまう。

🐻と🤔のちがい

甲状腺ホルモンが止まって入院した時に読んだ看護学の本の最初の方で、人間は植物機能と動物機能でできていると書かれていてはは〜んと感心した。植物状態というのはそういう意味かと。あともう一つはヒトはレイヤー構造として理解することができて、最下層に植物層、中間に動物層、そしてこれは勝手に追加したが最上層に人間層が、ISOの7階層モデルのように積み重なっている。人間層ってのは大脳新皮質という薄っぺらい部分だけに宿っている、人間固有の能力や性質で、言語や論理などの知的能力を支えていて理性や理念などの出所だ。

生命維持を司る植物層が不調を来たせば当然その上位層である動きを司る動物層の活動にも支障があり、その結果、ナビゲーションシステムである人間層にも悪影響が出る。逆もまた然り。これは当たり前のようだが、結構多くの人が人間層に発生する不調はそこだけで完結していると思いがちで、下の方のレイヤーに対して目を向けなかったりする。コンピュータでもソフトウェアの不調がメモリの不具合や電源容量の不足だったりする場合もあることを考えれば、人間においてもまったく同じだと言える。ただもちろん各レイヤーや各パーツだけで完結する問題も多いから病院は成立する。

そして各レイヤーのバランスは人によって異なっているはずで、それらのバランスによって性格も異なったりする。とりあえず植物層は置いておいて、最近のPCで言えば複数のOSが走る共通のハードウェアを構成するチップの異なり、みたいなものが動物層にはある。

動物層までへのリソース配分が高い人は、人間層は比較的シンプルなものに収まりがちだ。高度なアルゴリズムや思考よりも辞書的な蓄積をベースとしたパターンマッチングで問題解決をする。高学歴(偏差値的意味での)の人にも多く、新たな問題を解くためには新たな知識を必要とする。帰納トライアンドエラーから自分なりのアルゴリズムを構築するよりも、外部の力を利用してでもいいから問題解決すること自体を目的としている。

動物層までが優位な人(🐻)はナショナリスト的で、身内は大事にするがその外は敵として攻撃し、また、個は全体に奉仕すべきだと考える。男女にはそれぞれ役割があり、オスは外で仕事をして家族の糧を得、メスは子を産み育て家族の食事や家庭を整えるべきと考える。それは動物としては合理的な振る舞いだろうし、他人を身内の延長として包摂できる限り、思いやり親切に振る舞える一方で、感情的に受け入れられない他者や身内は、排除したり攻撃する。

一方、動物層よりも人間層が優位な人(🤔)はリベラルで、地縁血縁などの身内かどうかよりも理念やルールや合理性を重視する。どう考えても地域の掟ではない概念を持ち込んだりする。自分の欲望よりも人権を優先すべきと考えるし、全体よりも個を優先すべきと考える。そして頭でっかちとか冷たいとか言われがちだ。だが成長と共に「情が大事」を感情の発露ではなくルールとして学んで上手に身に付ける人もいる。

なぜそうなるか?🤔は🐻と比べて身体能力が劣るので、幼少期は体を使って遊ぶよりも本を読んだりひとり遊びをする時間が長い。手近な機械を分解したりもする。本や機械の効用というのは絶大で、自分を中心とした数メートルと数年の範囲の時空を超えて、数千キロメートル先の数百年前の人の、それこそ自分のリアル体験を遥かに超越した想像を絶する経験や思考や事実を身に付けることができる。その知識を足場にものを考え、天文学的な存在にもさらにそれを超える超越性にも思いを馳せることができる。それによって半径数メートルの世界で生きている🐻達の思考や振る舞いには限界があることを早々に知ってしまう。そのためしばしば友人や教師や親の考えを超え(たような気がして)、自分自身を孤立に追い込むこともある。とはいえその知識を元に自分の足元の現実を変革する力があるわけではない。

一方、🐻はその逆だ。きっと友達が多く親とも仲が良く、TVの芸能人やキャラクターが好きで面倒見が良い。スポーツも得意だし人気者。でも数メートルの範囲内でのみ正当化される仲間の掟に反する「人権」のようなものには理解を示すのが難しく、知らない誰かよりも知っている誰かを守ろうとする。自分の身体性に依拠した判断が優位で、頭でっかちな🤔は友達としてはいいが、考えていることには同意できない。ただ集団をより良い方向へ導こうという意思はある。

実際にはこの🐻と🤔の間には無限のグラデーションが存在していて、どちらかというわけではなくその間のボヤけたどこかにナショナリストリベラリスト(この区分が妥当かどうかわからないけど)の境界線があるのだろう。もちろんそのような左右軸の対立構造以外にも質の上下という縦の軸も存在するが。

人間を構成する要素、というか人間が人間を理解する上では要素に還元するしかないからだが、はたくさんあって分解する角度によっていろんな分解の仕方がある。ただ植物層や動物層などの物理層が人間層に影響を与えることは間違いない。身長の違い、体型の違い、性別の違い、人種の違い、血液型の違い、筋肉の質の違い、アルデヒド分解酵素の有無、性ホルモンの濃さ、など物理層のあらゆる違いが人間層に影響を与え、それがその個人の生存戦略にも影響を与えている。そう整理するとどんな人の意見にも一理を見出すことは可能だが、自分に対して攻撃してくるものは、とはいえ、排除したいのが私の動物層の反射神経だ。

家族内ではこういう性質が親に対するカウンターとして強化されたり、友人や配偶者には似てる部分と正反対の部分の組み合わせになるような相手が自然と選択されていたりする。面白いがめんどくさい。

人間が作っていないもの(厳密には存在しないが)はいい。人間と自然の中間生成物みたいな音楽もいい。

迂闊なことに

先日の生検で医者から止められていたにも関わらず、すっかり忘れて自転車に乗ってしまった。LUUPに乗ったのは3ヶ月も前でわざわざこの時期に乗らなくても、とは思うのだが、XR Kaigiが竹芝で行われるのでせっかくだから運動がてら自転車で行こうと思い立ってしまったのだった。錦糸町のアジトからは30分ぐらいと表示されるが、実際には45分ぐらいかかった。と言うのも、都内の自転車が走るべき位置が歩道と車道とに混在している環境に慣れていないのと、グレーさの適度な匙加減、つまり都内で自転車で走る時の文法みたいなものを身に付けていないので、右折などを除きほぼオートバイ的な走り方をしてしまったからだ。この辺は走っているうちに身に付くものだろうと思っていたら、帰路はかなり慣れていい感じに走れた。それでつい遠回りをしてしまって1時間近くかけて戻った。後でログを確認したら往復で20kmぐらい走っていたらしい。

医者が止めていたのは当然、身体に負荷をかけるからであって、誰が考えても会陰を痛め付けた数日後に自転車に乗るのは好ましくない。実際、帰ってきてからちょっと痛む。愚かだ。最近全方位的に愚かさが加速している。

LUUPの自転車はタイヤが小径な上に重いので、振動や段差が股間に与える衝撃は確かなものがある。つまり良くない。できればホイールが大きめで電動アシストかつ折り畳める自転車が欲しいところだ。しばらく前から探しているが相矛盾するような要求なのでなかなか見つからない。モペット的ないいとこ取り自転車は撲滅されそうな流れなので、潔く自転車にしておこう。そもそも冬は自転車は運動することで暖かいがオートバイは速い上にじっとしているから寒いのだ。

当初のこの場所の位置付けを考えると上野、秋葉原、浅草橋あたりへの移動は自転車を想定していた訳で、自分が軽量化したことで(今朝やっと84.0kgを切って10kg減を達成した)その実現が近くなってきた。ていうか逆に秋ぐらいまでの95kgとかの体重は本当に不自由だったなと実感する。この調子で75kgぐらいを目指して軽快になっていきたい。年度末ぐらいか。

ちなみに今日の一発目のXR Kaigiのオフラインセッションは行った甲斐があった。知らないキーワードを幾つか入手できたし、一線の人々の認識と自分の認識が大体一致していることを確認できた。ああいう感じのリアルな実感はネット上に出てきにくいので、自分が思ったり感じたりしていることが見当違いではないことを知る機会は意外とない。それにしてもすげー場所だった。ランチタイム、全レストランに一斉にできる行列に並んで仲間とおしゃべりする光景は30年ぐらい前に別のどこかで見た景色で、ちょっと懐かしかったが、もう戻りたくはないな。

最近はChatGPTsに作った昔の「先生」に愚痴をこぼすことで、ここに泣き言を書かなくて済むようになったが、あっちはいずれ消えるだろうな。でもその方がいい。ここは見られても差し支えない範囲の「本音」が記録される。

今度は

前立腺の生検のために2泊3日で入院した。今まで生検をすることはいくつかの病院で勧められてきたが全部断ってきた。PSAの値が確かに4.0は超えているがかといって6.0未満だし前立腺がんは進行が遅いことも多く早期発見して切除してもQOLが低下するばかりで、人生において長命を求めていない(今のところ)自分としてはメリットが感じられなかったためだ。

しかし東大病院では全身麻酔の上、2泊も入院する。そして術式は経直腸ではなく経会陰式なので恐らく多少は感染症リスクが低そうなこと、などなどを挙げられて説得されてしまったので、年貢を納めることとなった。

2ヶ月前に入院したばかりなので勝手は分かっている。今回は差額ベッド代の発生する4人部屋だったが、相変わらず快適だった。前日は食事は19時以降禁止、当日は水分補給は朝5時まで。食事は朝昼はなし。朝手術着に着替えた後、点滴のラインを取り水分補給の点滴をして、しばらく待機。呼ばれる少し前にT字帯を着用して抗生物質の点滴を入れる。時間が来たらストレッチャーに乗って4階の手術部まで移動してヘアキャップをされた。手術室に入るのは初めてなのできょろきょろ周囲を見回していたら、不安だと思われたらしく付き添いの看護師に「大丈夫ですよ」と言われた。映像でしか見たことがない部屋の様子はまさにそのままで、好奇心むき出しであちこちを見る。手術台へは自力で移動した。元気なのだから当然だ。そして酸素マスクをされ、ラインから麻酔が注入されたらしく頭がじんわりしてきたと思ったら、ストレッチャーの上で目が覚めた、ような気がする。しばらくぼんやりしてよく覚えていないが、撮影した動画をカットしてそのまま雑に繋いだような感覚だった。空白の1時間ではなく無だった。

T字帯の内側にある吸水シートには血が点々と付いているので針がたくさん刺されたのだろうと思われるが、その部位は見えないしiPhoneを駆使して見ようとも思えないので、どうなっているかは分からない。ただ鈍痛があり血尿も出るし、想定外の肛門の痛みもあったが、いずれも大したことはないので、夕食にもぎりぎり間に合ったし眠れないということもなく、無事にすべて終わり翌朝退院した。

当日、翌日の午前中は多少血尿が出たが、午後になるともうほぼ普段通り。自転車やバイクには次回の外来まで乗るなと言われているが、1週間もすれば大丈夫な感じだ。

色々が以前勧められた病院と比べて大げさにも見えるが、最大限のリスク対策がされていて患者に不安を与えないシステムだと感心した。

あとは結果次第だが、何が嫌かって仮に悪性ですとなった時に医師と自分との判断が異なった場合にどうするかだ。一見玉虫色で消極的な先延ばし判断に見える「様子を見る」というヤツは実は案外重要と学んできたので、定期的にPSA検査をしながら様子を見つつ判断する、という方向で落ち着けたい。

退院そして

10/13からきっかり2週間教育入院をした。退院後早くも1ヶ月半経過しているが、今までの状況をおさらいしておきたい。

まず教育入院はその名のとおり教育目的での入院で、明確な医薬品や手術による治療は一切ない。その代わりに、低カロリー、減塩による食事療法、主に有酸素運動による運動療法を強制される。入院前はおそらく2500から最大で3000kcal近くを摂取していたようだ(カロミルの記録)が、入院中の3食の総カロリーは1600kcalだ。一方塩分は入院前の記録では平均でも10g以上摂取していたようだが、入院中は6gに制限された。その結果なにが起きたかというと、まずは塩分制限による水分の排出が起きた。それによっていきなり3日間で3kg体重が減った。まずこれが驚きだった。体重の多くを水分が占めることは当然分かっていたが、それを維持するために体内に塩分を保持していたということだ。塩分摂取量を減らせばその分、保持できる水の量が減る。実に当たり前のことだが目から鱗だった。

しかし退院後に痛感することだが、日常生活においてカロリー制限よりも難しいのが塩分制限である。日本人は和食のせいでただでさえ塩分摂取が多いので、本来なら6gが適切な量だがその性質を考慮して厚労省的には10gまでOKということにしているらしい。自分は元々塩っぱいものは苦手なので避けたいのだが、少なくとも自分で作る以外あるいは減塩食の宅配でも利用しない限り、1日6gに制限するのは極めてむずかしい。町の定食屋は食材のバリエーションが豊富だが、そこで主菜1、副菜2、主食、一汁などを選ぶと一発で6gを超えることがある。なのでむしろコンビニやスーパーの惣菜や弁当の方が明記されている分、管理しやすいというメリットがある。とはいえ、こと塩分に関しては実感としては成分表に書かれている量は(推定値)とあることも多いように、実際よりは少なめに書かれているようだ。そういう場合はできるだけ汁やタレは残すことにする。

さて入院して体内の塩分量が減ることで水分が減るが、血圧はすぐに下がることはなかった。その結果降圧剤としてロサルタンKが処方された。それによって血圧はひどい時は上が170程度あったものが120前後に落ち着くことになった。ただ、血圧測定を繰り返しているうちに妙なことがあった。普段は主に左腕で測定するのだが、たまたま位置の関係で右腕で測定した時に、左腕よりも40ぐらい高い値になった。そうしたら主治医や看護師がざわつき、大動脈瘤解離の可能性やらなんやらを疑い始め精密検査まで受けたが、結局なにも見つからず無罪放免となった。

最初の3日間ほどでそういうドタバタは収束し、そのあとはひたすら空腹感との闘いとそれを超えて運動することへの挑戦だった。病院前の屋外通路を30分間何往復もしたり、エアロバイクを30分間漕ぎ続けたり、それらを午前午後繰り返したり、運動部の合宿のようだった。唯一違うのは運動後の食事量が少ないこと。しかもかなり。満腹感を得るためと血糖値のコントロールのために、普段の倍以上の時間をかけて咀嚼する。だいたい1食に20分間はかけるように心がけた。当然ながら間食はできないので、一食一食を大事にせざるを得ない。まずいイメージのある病院食だが、素材が良いのか調理が良いのか、薄味である以外はとても満足できるものだったし、慣れてくると元々薄味好きなこともあってまったく苦ではなくなった。

体重というのは直線的に減少するものではなく、1日に4回計測すると起床後排尿した後がもっとも軽く、そこから食事をするに従って増加していく。その後排便があるとその分減る。それとどういう訳か寝て起きると減っている。だがそれもカラクリとしては不思議なことではなく、いわゆる「燃焼された」脂肪が二酸化炭素と水分となって呼気や汗として蒸散していくせいだ。おもしろい。そして階段上に減少していくと3kgぐらい減ったところでしばらく動かなくなった。プラトーとか高原期というやつで、体が低カロリー摂取に適応して少ない摂取エネルギーでも活動できるように頑張っている時期だ。しかしそれでもしつこく低カロリーを続けていると、体も諦めるし、まあ少ないけど栄養は入ってくるから心配することはないなと判断して、安心して脂肪を消費し始める。そしてまた次の体重減少が始まる。

ということで10月13日に93.5kgでスタートした教育入院は2週間後の10月27日の退院時にはギリギリ90kgを切って89.5kgとピッタリ4kg減となった。2週間で4kg減は早すぎるらしいので、退院後は日常食の組み合わせで徐々に減らすのを目指す。ところが退院して1ヶ月でさらに5kg減少してしまい、ちょっとやりすぎかもしれないと思って食事の内容をより自分の好みに合わせて量を減らす形で対応したところ、減少速度は緩やかになった。12月11日時点では84~85kg程度をうろうろしている。当初の目論見では年末に80kgを切るつもりだったが、なんでもスピード競争にしてしまう悪い癖はこの際封印して、持続性を優先する。

今のところ3台の体重計を渡り歩いた結果、数字のばらつきが結構あるので、体脂肪率などはあまり当てにならない。だいたい26%ぐらいなのかな?という感じ。iPhoneで記録できる手軽さに負けて異常に安い体重計を買ったら精度が甘すぎてよくわからなくなったが、100g単位で一喜一憂する自分はかなりやばいので、これぐらいで良いと思っている。過去を参照すると一番活発だった学生時代の75kgぐらいがちょうどいいのかもしれないが、それにはまだ10kg減らす必要があるので、あと約4ヶ月後の年度末ぐらいを目処にがんばっていきたい。ペース的にはそれぐらいがちょうどいいだろう。

 

ところで、入院に際してMeta Quest3もMacbookAirも本も数冊持ち込んだものの、空腹感に耐えている間は頭脳を使うような知的活動はほとんど不可能で、人体のエネルギー利用における優先度を思い知ることとなった。今の時代、「腹が減っては戦はできぬ」ではなく「腹が減っては文化芸術活動はできぬ」であろう。衣食足りて礼節を知る、を実感することなくぼんやり生きてきてしまったことについて、仕方なかったとはいえ、認識を新たにし反省した次第。

 

ドック入り

先月下旬に人間ドックを受診した。錦糸町のアジトから都バスでアクセスしやすい東大病院だ。東大だから当たり前なのかもしれないが、実に設備から人から運営から整った病院だ。一通り受診して内科の先生と話をし、いろいろあることを改めて知ったので、以前から考えていた一つの可能性について質問してみた。ここでは即答できないので、糖尿病・代謝内科の外来で聞くように言われ、同時に泌尿器科の外来の予約もされた。こちらはPSAが若干高いので前立腺の生検について検討するためだ。

後日、それぞれの外来を受診し、専門の医師と話をしたところ、条件に該当するということだったのでしばらく入院することになった。教育入院という名の、肥満症の自分が将来糖尿病になって人工透析や足を切断したりしないため、未病の段階で対処しようという試みだ。なってしまってからでは遅いのは、父の様子をずっと見てきて分かる。前立腺の肥大への流れについても、完全に父の症状をトレースしている。長生きをするためというよりも、後期高齢者には届かないであろう自分の生の質をできるだけ低下させないためのメンテナンスだ。

予定では数日前から入院するはずだったが、男性用ベッドが満床だとのことで数日遅れることになった。いとこがこの病院の割と上の方のポジションにいるようなので、電話でもすれば融通を利かせてくれるかもと思わなくもなかったが彼に迷惑をかけそうだし、そういう手段を選択する自分もいまいちしっくりこないのでやめた。そういうこととは別に、彼とは祖父について話をしてみたかったので、もし入院中に機会があれば連絡してみたい。便宜とか抜きで。

先ほど電話があって、13日の金曜日からということになった。ここ最近13という数字に縁がある。iPhoneもそうだし、マンションの駐車場の番号もそうだ。素数だし、皆がが嫌がって競合が少ないし良いことも多い。先日宿泊したホテルも13階だった。一体どういうことをするのかよく分からないまま入院する。Macbook Airと先日入手した割と強めなWindowsノートとMeta Quest 3を持ち込もうと思っているが大丈夫だろうか?UNITYやVSをインストールしておくべきか。あとは本も10冊ぐらい持ち込むつもりだが、どういう日々になるのかよく分からないのでどこまで可能なのか不明だ。

そういえば都内での生活は自宅のある横浜市北部の「郊外」の生活とはかなり様相が異なるし、暮らし方も異なる。交通手段の選択肢が多く、意外な場所へ意外に簡単に行くことができたりする。今回の病院の選択も、ネームバリューよりも都バス一本で行ける大きな病院という理由が大きかった。また、歩いてすぐの場所に大きな文化施設があったり、自転車でラクにいろんな場所に行ける。自宅周辺も嫌いではないが、足掛け三十数年住んでいて飽きたのも確かだ。住と行政が中心で商業や文化はおまけ程度。少し今後の生活について考えてみたい。

この入院をきっかけに15kgぐらい減量し、もうちょっと軽快に活動していきたい。