最後のブログ(仮)

90年代以降作り散らしたblog的なものの最後

そして神話は終わりはじめた


先日の渡鬼の完結は世間的にはそれなりにインパクトのある出来事だったようだが、自分としては一度も見たことがないのでよくわからない。ただ、それまでのマスコミやネットでの取り上げられ方から考えて、これはおおごとなんだな、と頭で理解することはできた。


そして、5日、SJが逝った。前回の姿を見てその時は近いのだろうとは思っていたが不意を突かれた。早すぎる。まだ心の準備ができていない。自分のそんな感覚は案外多くの人が持ったようだ。そして、今までに感じたことのない喪失感。身内でもない人間がこの世を去ることが、こんなにも自分に影響を与えるのかと驚いた。おそらくジョン・レノンの時と同じような感覚だろうなということはわかるが、当時の自分はビートルズの音楽はよく聴いていたがメンバーについてはまったく関心がなかったので、友人が嘆き悲しんでいる姿がぴんとこなかった。でも今ならわかる。


そして、これはやはり大きな一つの神話の終焉を招くことになるのかもしれない。SJに影響を受けた数多くの元マイコン少年たちや、iPhoneに熱狂したgeekたちは今後しばらくのあいだ、テクノロジーアイコンの喪失に悩まされることになるだろう。なぜなら、SJ的なものは自分たちgeekの中にない、外部的なものだから。かといって、優れたマーケターなら代替ができるというわけでもない。まさに唯一無二の存在。


SJの "NO" というのが重要だという考え方は、彫刻に似ている。単なる木のカケラをどんどん削って、そこから誰も見たことのない仏像を彫り出す作業を思わせる。"YES" でどんどん追加していくのではなく、 "NO" で削り出していく。それは最終的な形が見えていない限りできないことだ。モーツアルトもそうだが、天才というのはきっと、多すぎず少なすぎず、ちょうどぴったりなポイントを直感的にヒットできる人のことを言うのではないか。そういう意味でSJは、見えない姿を見る能力をもっていたのだろう。