最後のブログ(仮)

90年代以降作り散らしたblog的なものの最後

公開模試の付き添い


今日は次男の公開模試があり、三軒茶屋のS学園まで行ってきた。みんなNのバッグを背負っているが、ウチは無印だ。塾関係者から今日の試験に関する解説があったり、今年度の受験環境の見通しについての説明もあった。いずれも納得の行く的確なものであったが、真剣に聞けば聞くほど感じるのが、これらはいずれも単なる戦術論にすぎないということだ。


当然だ。まずは大前提として日本のこの教育状況があり、今の社会構造を基本として考えると、それに応じた戦術を取るのが最も合理的だということはわかる。でもなおどうしようもない座りの悪さを感じるのは、やはり自分で今の日本の教育に対して不満を持っているからだろう。どうにかして子どものための良い教育環境を手に入れるための最大限の努力をしたかどうか、自分に問うてみれば、十分なことをしていないのは明らかだ。だからこその不満だろう。


家庭のことにしても、子どもの教育についても、自分の学生時代に露呈した物事に対する不徹底さが、うまくいかないと感じる根底にあるような気がする。やると決めた範囲の問題は、解けるまで食い下がって解き切るとか、分からないことは徹底して調べるとか、教師に質問しまくるとか、そういう活動の不足が今に及んでいる気がしてならない。当時を振り返ってみると、結局は自分のキャパシティーギリギリの所で出せていたパフォーマンスを、余裕で出せるものと勘違いしたまま、その最大値を更新する努力を怠った、あるいは、すでにもう飽和していた、ということだと思う。


それと同じ好ましくない性質を自分の息子たちに感じるゆえに、なんとか環境を変えて状況を逆転させたいと思うのだが、しゃかりきにならずともなんとかそこそこの暮らしができてしまっている現状に甘えて、それをひっくり返すだけの切迫感が生まれない。今回の公開模試の受験が何らかの契機になることを期待している。