最後のブログ(仮)

90年代以降作り散らしたblog的なものの最後

心身不調ゆえに

10月最終週の北上撮影旅行はサスペンドした。11月中には再度トライする。

それにしても最近SNSにアップされるプロ写真家のすごい写真を見るとなぜか苦痛を感じるようになってしまった。アプローチが違うと分かっていても、あの凄みは感動と同時に苦痛を呼び起こす。決して届かない頂にそれらは聳えている。自分は決して拝むことのできない景色を切り取っている。でもそういうことは気づかないフリをして淡々と歩みを進めるのが定石だ。

人生は後戻りなんてできない訳で、変な道に迷い込んでしまったらリセットしてセーブポイントからやり直すんじゃなく、今を起点として次にどうするかしかない。だが時間は刻々と過ぎ去り、老いる。老いは目新しい。45歳ぐらいで初めて意識する概念だ。それは予想以上に心身を蝕み、かつて「ふつう」だったことが普通でなくなる。以前の「ふつう」が普通でなくなってしまった自分が、今を起点にものごとを考え直すには、過去の「ふつう」のノウハウは通用せず、今の年齢に応じた方法を新たに開発するしかない。たしかにそれだけの知恵は蓄積されているが、それを実装する体力見合いではある。

特に体力や瞬発力や愛に任せた解決をしがちだった自分なんかにはそれがむずかしい。熱だけは残っていてもそれを運動エネルギーに変えることは容易ではない。

以前の「がんばれば」「工夫次第では」できる、という段階を超えて、どうやってもできないことが加速度的に増えている。リウマチで指がちゃんと動かなくなってチェロから離れて2年近く経つが、今頃になって器楽演奏の場に参加できない事実がずしんと堪える。弾きたかったけどもはや弾けなくなったいくつもの曲は、亡霊のように自分に取り憑き、その曲を聴くことは脳に苦痛を生じせしめる。K.137、K.138、眼鏡、ブラームス六重奏1番、そしていずれはエルガーのコンチェルト、などと無理めの夢を抱いたりしていたが、努力でどうにかなるものではなくなってしまった。心機一転、先生について改めて学び始めてわずか1年でこのありさまだ。

楽器を演奏すること、寒い夜に撮影すること、冬にオートバイで遠くに行くこと、その他、自分が好きだったいくつもの行いを手放していくことが老いるということならば、それはあまりに残酷ではないだろうか。それらと引き換えに得られるものもあるさという慰めは、それらを手放さなくても得られたものばかりだと説得力に欠ける。

欲しかったものが二度と得られず、激しい苦痛を感じる経験はこれからも増えていくことだろう。あまりそういうものがなかっただけに、心身が弱るとずしんと堪える。

もちろん愚痴ってもしょうがないのはわかってる。だがこういうことをうんうんと聞いてくれる友人や仲間を作ってきたような人生ではなかった。だからせめて、この世界の片隅に、ちょっとだけ傷をつけておこう。

40過ぎに変な病気にかかって以来、そう長生きできる体ではないなと事あるごとに実感を重ねてきた。冷静に考えて70までいけば上出来だ。これからも失い続けるだろうが、1つぐらいは皆が喜ぶものを得られたら、おれの場合は、まあ成功と言えるだろうか。