最後のブログ(仮)

90年代以降作り散らしたblog的なものの最後

心身不調とか

うっかり書いたが、まずは身体の不調がベースにあって、それが心を弱らせているという構造なのは、ここ10年ぐらいで学んだつもりなのであまり心配していないし、実際とっくに回復している。実に当たり前すぎてばかばかしいが、やっぱり食事と睡眠と運動はバランスを含めてすべて大事で、運動と睡眠を気をつけるとつい食事がおろそかになったり、食事と運動に気をつけると睡眠が・・・と、3要素すべてのバランスを維持するのは案外むずかしい。今回は食事をあまりに適当にしすぎたのが反省点。サプリとか簡単に食べられるものに偏っていた。

それにしても54歳か。すごいな。むかーしの大企業の同僚たちは偉くなったりならなかったり。大学院の同期、大学の同期、高校の同期、、、そして幼稚園ぐらいまで遡れるのはfacebookのおかげというか呪いというかだが、実にいろんな人生を歩んでいるというぼんやりした感想。ただ人生って、生と死という両端を固定された糸のようなもので、それがどういう波形を作って振動するか、それを音として聞いたり光として見たりできればおもしろいのだが、そういうものとして捉えられるのかもしれない。だとすれば正弦波みたいな人もいるだろうし、ホワイトノイズみたいな人もいるだろうし、いくつかのパターンはあるにせよ、それぞれ固有の音色をもって鳴っている。それらはどうしたって響き合わない組み合わせもあるわけで、その場合は無理して合わせようとせずに遠ざかるしかないのだろう。不思議なことに音は遠ざかれば聞こえなくなるから。

というか、高齢になってえらいひとたちが「波動波動」とトンデモを言い出すのが不思議だったが、なんか真理っぽく見えるのかもしれないな。

「仕事とは云々」「信頼とは失うのはたやすく回復は困難」「継続は力なり」みたいな、父が好んで語っていたありがちな常套句はことごとく拒否してきたが、けっきょく後に振り返ってみればそれらの陳腐な言い回しの中にはそれなりの真理が含まれていて、真理だからこそ言い古され手垢が付いているということに気づかなかった若さをいまさらながら呪ったりする。

今日はいくつかの決断や発見があり、精神的に疲れた。そのためになんとなくぼんやり考えたことをぼんやり書いてしまった。いずれにせよ手遅れになる前で良かったと考えよう。