最後のブログ(仮)

90年代以降作り散らしたblog的なものの最後

27年前

会社をやめ、北陸へ居を移し、身分も学生に戻った。当時は冬の時代だという認識もないまま、AIの一分野を学んだ。研究者になれたら良かったが、その力はなく、3年後に再び関東に戻って企業に所属した。自分の中では期間を決めて、その後は独立するつもりだった。きっかり3年後にやめて、小さい法人を設立して請負仕事をした。しばらくして知人と一緒に2駅離れた実家そばの父所有のマンションに株式会社を登記し、請負仕事をしたりソフトウェアを作ったり派遣をしたりした。ここまでで最初に会社を辞めてから10年が経過した。そこから4年、私が新規事業も立ち上げられず、いつまでも派遣させられる状況に業を煮やした知人は離れ、自分はそのマンションに家族と一緒に転居した。同時に1階の商店街の空きテナントに事務所を用意した。

世田谷の団地→横浜の実家→石川のアパート→横浜のアパート→横浜のテラスハウス→横浜のマンション、と6ヶ所に住み、最後に転居してから13年経過した。数年前に妻の事業が合流し、会社の業績は向上して安定した。

今年、2つの波が来た。いよいよ身近になったDLによるAIと、遂に実用になるかもしれないVRだ。冬だったAIの世界にはとっくに春が来ていてもうすぐ夏。なかなか離陸しなかったVRは名前を変えてついに来年には離陸する勢いだ。長いことこのタイミングを待っていた。

新しいことをしようとする時に、住む場所や環境を変えようとするのは悪い癖だと妻には言われている。今までもそうだったし、だからと言って成功したわけでもない。だから「ここ」にいたって同じだから、余計な費用をかけるなということだ。実に合理的。だが、過去を振り返れば、新しいことをやろうとしてうまくいかなかっただけで、どこに住んでいたかは直接関係はない。単に新しいことをやり切る力がなかっただけだ。

ここに住むようになって13年経過し、生活は安定したと言える。いやむしろ安定しすぎた。同時に以前の自分と比べて多少は賢くなった。すごい人やひどい人やふつうの人や変わった人、色んな人に接して相対的に自画像が多少明確になっただけだが、願望や虚像抜きでできないこととできることを受け入れ、自分の姿がより正確に見えるようになってその認識に至った。

そして自分にとっては次の段階が来たと感じたので、都内に拠点を構えることにした。というと大げさだが1人には十分の広さの賃貸マンションを借りた。またうまくいかないかもしれない。100点でなくても、なんなら60点でよい。今度は自社から受け取る報酬だけではなく、外の仕事もして外部からも収入を得るつもりだ。より頻繁に積極的に外部と関わるための場であって、閉じるための場ではない。自分は1人でなにかを成し遂げるタイプではなく、他者との関わりが必要なタイプだ。それが協働という形を取るかどうかは別として。

前期高齢者というレッテルが貼られるまであと10年もない。健康状態も勘案すると機会としてはこれが最後だろう。新しい人と出会い、新しいことを学び、考え、集め、今まで考えたり集めたりしたものも形にしたい。やるだけのことをやったら結果の如何によらず、残りの時間は妻とたのしく穏やかに旅をしよう。